さて、京都のエントリが止まっていたので復活させます。
②では次は大覚寺なんて抜かしているけれど、ちょっともう、そんなに細かく記すのは大変なので、
かんたんな振り返りとどうしても語りたいところだけ。
1日目の続きは、大覚寺ののち天竜寺へ。
どちらもすごい絶妙な手入れで自然なんだけど美しい。植物たちをただ放っておくと草ボーボーで荒れるだけなのであの塩梅はほんとうにすごいと思う。
そして、夜は街の喧噪を避けて阪急線で伏見桃山まで。
酒蔵をぐるぐるして居酒屋をめぐる。酒蔵を改造してつくった居酒屋の日本酒はとろりと甘くはじける炭酸がおいしかった!
2日目はゆったり街中プラン。
モリカゲシャツでお買い物をし、歩いて青蓮院門跡まで。
結構な距離を歩き、途中は腰のまがったおばあちゃんがせっせと調理をするうどん屋さんでお昼。
お汁がたっぷり染みた親子丼はまさしく京都の味。小さくてかわいいお店でした。
青蓮院は、「こんな時代だからこそ公開を」という住職さまの気持ちが伝わる誰しもが
「行ってよかった」と思える参拝の仕組みになっていた。
ただ拝観するだけでなく、ちいさなお札と護摩の紙を頂くことができ、青不動様にお会いする前に、
自分のお願いごとを紙に書いて青不動様にお渡しすることができたのだ。
青不動様が描かれた時から世界は本当に大きく変わってしまったけれど、それでも、人々がお願いごとをする気持ち、
安寧や周りの人の健康を願う気持ちはきっと変わっていないと思う。
そうしたことに気がつけるだけでもほっとするなぁと思った。
その後は、地下鉄に乗って、京都国際マンガミュージアムへ。
お目当てはタムくんの原画の展示だったのだけれどその施設にびっくり。
細部まで考えられてイノベイトされており、建物自体にもきちんと意味を持たせていた。
しかしながら常設の展示にはなんだかだっかり。
ずらりと並ぶマンガの壁と呼ばれる棚はマンガ喫茶のそれとさほど変わらず、ただ置いてあるだけにしかすぎない。
例えば、作家別にするとか、内容をカテゴリーごとにわけるとかそんな工夫がどこにもなかった。
大きな火の鳥のレリーフがあるならば、手塚治虫のマンガがすべて読めるスペースがあってもおかしくはないと思うのだけれどなぁ。
マンガを好きな人は楽しいけれど、マンガを面白いと思っていない人がきたらやっぱり面白くないと思う、そんな施設だと思った。
魅力をつたえるための展示、ハコモノにはやっぱりそれが必要なのではないだろうか。
まずは、スタッフの真っ赤なナイロンの上着から検討してほしい。
(もちろん、タムくんの原画はとーってもすてきでした)
その後は、shinbiまで歩いてタムくんのアニメを見て、ぜんざいを食べて京都駅へ。
それまでは、あんまり人がこないところを選んで廻っていたので京都駅の人の多さにびっくり。
なんとか袋入りの阿闍梨餅をつかみ、お決まりの生麩とちりめん山椒を購入。
柿の葉寿司(駅弁より絶対おいしい)を買って新幹線へ乗り込み京都の旅は無事に終了。
仏像にお庭にお買い物ととーっても贅沢な旅でした。
2009/12/19
ヘヴン
いろんな考え方に振り回されて、なにが良いのか、何が正しいのか、何が適切なのかがもうわけがわからなくなってしまうことがある。
立ち位置なんてせせこましいことを考えているのがいけないんだろう。
でも、考えてしまう。
じゃあ、どうればいい?
川上未映子の『ヘヴン』を読了後そんなことを考えてしまった。
みんな微妙に違い、微妙な違いと同じ点をもとにグルーピングし、ジャンル分けし、自分ってもものの説明をしてるんだろうか。
いーっぱい見えてしまうのだ。
例えば髪型、服装、喋り方、食べ方、ありとあらゆる人間の「振る舞い」からその人との表わしたいところが。
でも、その記号的な情報では「感情」はわからない。
それが、キーな気がする。
この人って、こんな感じの人なんだわという具合に予想したところでそれはわたしの頭の中のその人でしかなくて、その人が何を考えているのかなんてわかりやしない。
だからズレるんだろうし、だから距離がうまれ、言葉に詰まるのだろう。
小説はもっとずっと切り込んだ善悪とそれに立ち向かう少女の正しさ、かたくなさ。少年のとまどい。
そして、世界というものの世界観。
そんな小説だった。といってもものすごくわかりにくいのだけれど。
でも、そこで明らかになったのは、苛めを悪とするための苛めている側に対するロジックなんてないのだ。
言った者勝ち。やったもの勝ち。そんなうっすぺらなものがとっても強いのだということ。
最後の50ページは胸が苦しくてたまらなかった。
そんな小説だった。
2009/11/17
京都②
さて、高雄から市バスに乗り込み太秦天神川まで。
ほんとは仁和寺にも寄ろうかと思っていたのですが、次の予定もあるので残念。
だいたい欲張りなプランを考えてしまいがちです。
そして、大好きな京福嵐電に揺られ嵐山へ!
さっきまでの侘しい雰囲気とは打って変わってthe観光地な雰囲気にのまれそうになりながらも歩いて清涼寺へ。
まずは、境内の中にある湯豆腐のお店でランチ。
湯豆腐にごま豆腐、生麩の天ぷら、野菜の炊きあわせ、白和えなどと古代米をほうじ茶で炊いたものなど、
選ばれた材料できちんと拵えてある味が幸せ!
生麩を湯葉で包んだ揚げ出しは餡のせりの風味が絶品でした。
お腹をみたしてやっと、参拝。
五臓六腑があるという釈迦如来さまにお会いする。
お釈迦様が37歳の頃の様子を表しているからかお顔はインド人のお顔。すっと通ったお鼻が美しい。
特別公開の阿弥陀三尊さまと普賢菩薩さまと文殊菩薩さまはその近さにびっくり。
息をのみながら見つめてしまいました。
五臓六腑を表してる布袋の複製も見ることができたのですが、とっても興味深い!
お釈迦さまがたしかに生きていたのだということを密かに伝えているのだ。
お庭もとってもきれいで時間がすっと止まっているような空間で背筋がしゃんとする心地よさ。
きなこの風味が香ばしいあぶり餅をいただいて大満足にお寺を出ました。
次は大覚寺です。
ほんとは仁和寺にも寄ろうかと思っていたのですが、次の予定もあるので残念。
だいたい欲張りなプランを考えてしまいがちです。
そして、大好きな京福嵐電に揺られ嵐山へ!
さっきまでの侘しい雰囲気とは打って変わってthe観光地な雰囲気にのまれそうになりながらも歩いて清涼寺へ。
まずは、境内の中にある湯豆腐のお店でランチ。
湯豆腐にごま豆腐、生麩の天ぷら、野菜の炊きあわせ、白和えなどと古代米をほうじ茶で炊いたものなど、
選ばれた材料できちんと拵えてある味が幸せ!
生麩を湯葉で包んだ揚げ出しは餡のせりの風味が絶品でした。
お腹をみたしてやっと、参拝。
五臓六腑があるという釈迦如来さまにお会いする。
お釈迦様が37歳の頃の様子を表しているからかお顔はインド人のお顔。すっと通ったお鼻が美しい。
特別公開の阿弥陀三尊さまと普賢菩薩さまと文殊菩薩さまはその近さにびっくり。
息をのみながら見つめてしまいました。
五臓六腑を表してる布袋の複製も見ることができたのですが、とっても興味深い!
お釈迦さまがたしかに生きていたのだということを密かに伝えているのだ。
お庭もとってもきれいで時間がすっと止まっているような空間で背筋がしゃんとする心地よさ。
きなこの風味が香ばしいあぶり餅をいただいて大満足にお寺を出ました。
次は大覚寺です。
2009/11/16
京都①
さて、11月14日土曜日。
久々の京都へ行って参りました。
6:32のひかりに乗り込み、全日購入した内田樹先生の『日本辺境論』をぽつぽつと読んだり、
窓の外の景色をみたりしたらあっという間に京都駅。
8:30発のJRバスに乗り込みいざ高雄へ!

まずは、善財童子さまがお迎えしてくださる高山寺石水院へ。
朝の空気がとっても似合う居心地のよさ。
でも、何が良いのかという本当のところはまだ言語にできない。
川のせせらぎ、光のかげん、草木を揺らす風のすべてを取り込む開放的な構造には人の気持ちをすぅっと持ち上げるものがあるように思う。
きれいに整えられた木や参道からは、自然に対する慎重な配慮が感じられ、それが絶妙なバランス。
ほんとにすごい。

そして、みたらし団子を食べ、もみじの天ぷらをつまみながら川辺を歩いて神護寺へ。
人口の針葉樹林にかこまれて育った私にとって紅葉がとても新鮮でした。
長く長く続く階段を登った後は凛々しくも艶やかな薬師如来さま。
お会いするのは二度目なのにやっぱりしびれました!
続きは後日。
今度は嵐山です。
久々の京都へ行って参りました。
6:32のひかりに乗り込み、全日購入した内田樹先生の『日本辺境論』をぽつぽつと読んだり、
窓の外の景色をみたりしたらあっという間に京都駅。
8:30発のJRバスに乗り込みいざ高雄へ!

まずは、善財童子さまがお迎えしてくださる高山寺石水院へ。
朝の空気がとっても似合う居心地のよさ。
でも、何が良いのかという本当のところはまだ言語にできない。
川のせせらぎ、光のかげん、草木を揺らす風のすべてを取り込む開放的な構造には人の気持ちをすぅっと持ち上げるものがあるように思う。
きれいに整えられた木や参道からは、自然に対する慎重な配慮が感じられ、それが絶妙なバランス。
ほんとにすごい。

そして、みたらし団子を食べ、もみじの天ぷらをつまみながら川辺を歩いて神護寺へ。
人口の針葉樹林にかこまれて育った私にとって紅葉がとても新鮮でした。
長く長く続く階段を登った後は凛々しくも艶やかな薬師如来さま。
お会いするのは二度目なのにやっぱりしびれました!
続きは後日。
今度は嵐山です。
2009/11/04
内田樹先生の講演
つ、ついに念願の内田樹先生の講演に行ってきました!
職場で大変お世話になっている方にお誘いをいただいて図々しさとミーハーさを丸出しで。
ひじょうに興味深く、楽しいお話で時間が過ぎるのが本当に惜しいものでした。
お話の内容は、最新の文部科学省の高等教育の方針からいつもの教育論へ。
教育に市場原理を持ち込み、学校で学ぶ意義が明確になったとたんに学力が下がってきていること、
勉強せずに良い成績をおさめることをスマートとするひとたちがいること、
むーんと頭を抱えながら聞いてしまう。
話は、学校教育は子どもにとって「なんでここにいるのかよくわからない」ことであり、
「意味がわからない」ことであるけれど、それを自分で考えることの大切さについて考えることが
大切なんだということをおっしゃっているのを聞いてふむふむ自分もそうだったよなぁと思い出した。
そうやって、誰しもが感じる感覚というものを大切にしながら樹先生はお話をするので聞いている人たちは
無条件に自分が肯定されていることを感じる。
だからどんどん聴衆は引き込まれていくし、リラックスできるのだと感じた。
きゅっとしまった大人たちが一つのことを目的に目をきらきらさせている光景を初めて見た。
ものすごいことだ。
私個人としては、「教育とは教えたいから教えるという要求されていないところから始まること」
「学びのメカニズムとは自分には理解できないけどしたいこと」
「教育とはおせっかい」
などといった言葉を聞いて、自分の行動の説明できない部分や自信のない部分を
そのままでいいんだよ、とGOサインをいただいたような気持ちになった。
そして、「大切なのはメンターを見つけるためのセンサーとメンターとなりうる人物をその気にさせるための礼儀正しさ」や、
「生産的で愉快で幸福な生き方ができるように教育はあるべき」
というような言葉は、これからの時代を生き抜く子どもたちには、肌で身に付けて欲しい感覚だと
強く感じた。
私は、他の人とコミュニケーションをとるのが苦手で、嫌だなぁと思ったことはすぐに顔に出るけれど、
なるべく周りの人には嫌な想いをさせずに振る舞いたいと思っている。
言葉にすると恥ずかしいけれどいかに「ハッピーオーラ」を出せるかが重要だとも。
相手を不愉快にさせないこと、居心地の良さを感じさせることができること、
それこそが社会と「コミット」する入り口なのだと勝手に思い込んでいる。
能力や実力がなくても、利益を必要としない人と人との関わりの中では、
自分に素直であること、礼儀正しくあることがやっぱり助けてくれるのである。
さらに講演後、スーさん様の主催する樹先生をお出迎えする会へ。
キャパシティが極小の私には脳がきゅうきゅうと悲鳴をあげるような濃厚な時間でしたが、
とーっても楽しかった!
樹先生は壇上以上にサービス精神が旺盛でやさしくて、細やかな気配りをしてくださいました。
ほんとうに礼儀正しいということは、かた苦しくなく、居心地の良いものだということが伝わる時間でした。
そして、その心地よさがその場にいるすべての人に伝わり、初めて会った人たち同士とは思えない
温かなコミュニケーションが生まれていました。
本当に幸せだなぁと何度も噛み締めました。
誘ってくださった上司にはもちろん、素敵な会の準備をしてくださったスーさん様、
一緒に楽しい時間をすごしてくださった皆様への感謝の気持ちが一杯です。
そして、内田樹先生。ほんとうにありがとうございました。
そうやって、誰しもが感じる感覚というものを大切にしながら樹先生はお話をするので聞いている人たちは
無条件に自分が肯定されていることを感じる。
だからどんどん聴衆は引き込まれていくし、リラックスできるのだと感じた。
きゅっとしまった大人たちが一つのことを目的に目をきらきらさせている光景を初めて見た。
ものすごいことだ。
私個人としては、「教育とは教えたいから教えるという要求されていないところから始まること」
「学びのメカニズムとは自分には理解できないけどしたいこと」
「教育とはおせっかい」
などといった言葉を聞いて、自分の行動の説明できない部分や自信のない部分を
そのままでいいんだよ、とGOサインをいただいたような気持ちになった。
そして、「大切なのはメンターを見つけるためのセンサーとメンターとなりうる人物をその気にさせるための礼儀正しさ」や、
「生産的で愉快で幸福な生き方ができるように教育はあるべき」
というような言葉は、これからの時代を生き抜く子どもたちには、肌で身に付けて欲しい感覚だと
強く感じた。
私は、他の人とコミュニケーションをとるのが苦手で、嫌だなぁと思ったことはすぐに顔に出るけれど、
なるべく周りの人には嫌な想いをさせずに振る舞いたいと思っている。
言葉にすると恥ずかしいけれどいかに「ハッピーオーラ」を出せるかが重要だとも。
相手を不愉快にさせないこと、居心地の良さを感じさせることができること、
それこそが社会と「コミット」する入り口なのだと勝手に思い込んでいる。
能力や実力がなくても、利益を必要としない人と人との関わりの中では、
自分に素直であること、礼儀正しくあることがやっぱり助けてくれるのである。
さらに講演後、スーさん様の主催する樹先生をお出迎えする会へ。
キャパシティが極小の私には脳がきゅうきゅうと悲鳴をあげるような濃厚な時間でしたが、
とーっても楽しかった!
樹先生は壇上以上にサービス精神が旺盛でやさしくて、細やかな気配りをしてくださいました。
ほんとうに礼儀正しいということは、かた苦しくなく、居心地の良いものだということが伝わる時間でした。
そして、その心地よさがその場にいるすべての人に伝わり、初めて会った人たち同士とは思えない
温かなコミュニケーションが生まれていました。
本当に幸せだなぁと何度も噛み締めました。
誘ってくださった上司にはもちろん、素敵な会の準備をしてくださったスーさん様、
一緒に楽しい時間をすごしてくださった皆様への感謝の気持ちが一杯です。
そして、内田樹先生。ほんとうにありがとうございました。
2009/08/29
浜松のリラックスポイント
しばらく前、久しぶりにキルヤさん、ひつじ日和さん、シンプリィ・ショップさんへ行ってきました。
どのお店も行くとぜったいほっとする大好きな場所です。
とりあえず、「げんきですよ!」と小さく近況報告をしてきました。
ものすごくラッキーなことにキルヤさんではtupera tuperaさんにも会えました。
新作、『アニマルアルファベットサーカス』があまりにもきれいなので購入。
なんと名前入りサイン本です。
わたしが絵本カーニバルのワークショップでtupera tuperaさんと初めお会いしてから1年半。
アツコさんのおなかの中にいたトリコちゃんはかわいいかわいい女の子として絵本屋さんの中を歩いていました。
その時間の積み重ねの重みずっしりと感じながらも幸せな時間。
時間ってとっても残酷だけど成長するって素晴らしい!
さらに、お誕生日プレゼントに荒井良二さんの『きょうというひ』と自分用にエドワード・ゴーリーの『蒼い時』も購入。
エドワード・ゴーリーが非常にノスタルジック。
すべての「だれにもわかってもらえない」人々に送られていると感動してしまいました。
どのお店も行くとぜったいほっとする大好きな場所です。
とりあえず、「げんきですよ!」と小さく近況報告をしてきました。
ものすごくラッキーなことにキルヤさんではtupera tuperaさんにも会えました。
新作、『アニマルアルファベットサーカス』があまりにもきれいなので購入。
なんと名前入りサイン本です。
わたしが絵本カーニバルのワークショップでtupera tuperaさんと初めお会いしてから1年半。
アツコさんのおなかの中にいたトリコちゃんはかわいいかわいい女の子として絵本屋さんの中を歩いていました。
その時間の積み重ねの重みずっしりと感じながらも幸せな時間。
時間ってとっても残酷だけど成長するって素晴らしい!
さらに、お誕生日プレゼントに荒井良二さんの『きょうというひ』と自分用にエドワード・ゴーリーの『蒼い時』も購入。
エドワード・ゴーリーが非常にノスタルジック。
すべての「だれにもわかってもらえない」人々に送られていると感動してしまいました。
2009/07/28
summer vacaiton
もしかしたら友人との二人暮らしが終わり、実家に戻るかもしれないという案が上昇してはや2週間ちかく。
結局、決断は8月いっぱいに伸ばされたもよう。
というわけで、ずっと悩んでいた赤ワインもトイレットペーパーも今日買いにいこうと思う。
なんだか宙ぶらりんな夏休みを過ごすことになりそうなので、課すことはふたつ。
そうじをマメにする。
読書をたくさんする。宮本常一からサガンまで。
とりあえずの課題図書をまとめてみたらアマゾンの箱から本があふれそうになったのでちょっと顔を歪めてしまったけど。
そうそう、斎藤美奈子さんの『モダンガール論』も課題図書なんだった。
『モダンガール論』はもう3回目くらいだとおもうけど、初めて読んだ時の衝撃は大きかった。
とにかく進むページ進むページが面白くて、くすくす笑ってしまうのだけれど、重い。
女性近代史をも教養ととらえるならば多くの人に読んでもらいたい本だと思う。
戦争がもたらしたもののひとつに女性の社会進出があるということは大きなテーマだし、伝えていきたいことだと思う。
結局、決断は8月いっぱいに伸ばされたもよう。
というわけで、ずっと悩んでいた赤ワインもトイレットペーパーも今日買いにいこうと思う。
なんだか宙ぶらりんな夏休みを過ごすことになりそうなので、課すことはふたつ。
そうじをマメにする。
読書をたくさんする。宮本常一からサガンまで。
とりあえずの課題図書をまとめてみたらアマゾンの箱から本があふれそうになったのでちょっと顔を歪めてしまったけど。
そうそう、斎藤美奈子さんの『モダンガール論』も課題図書なんだった。
『モダンガール論』はもう3回目くらいだとおもうけど、初めて読んだ時の衝撃は大きかった。
とにかく進むページ進むページが面白くて、くすくす笑ってしまうのだけれど、重い。
女性近代史をも教養ととらえるならば多くの人に読んでもらいたい本だと思う。
戦争がもたらしたもののひとつに女性の社会進出があるということは大きなテーマだし、伝えていきたいことだと思う。
2009/07/27
小説のなかのセルフ・エステーム
言いたいことや思うことはたくさんあるのだけれど、ブログに到達するには
ごはんもおそうじも持ち帰りの仕事もその他もろもろの時間があるわけでとんとごぶさた。
でも、それって日々を振り返る時間がないってことなのかもれしない。
村上春樹の小説を内田樹先生が絶賛しているのでひじょうに久しぶりに読む。
はじめての『スプートニクの恋人』。(今さらなんでっていうツッコミに答えるならば図書館にあったのがそれくらいだから。)
主人公の愛するすみれが恋をし、働くようになったことで文章がぴたりと書けなくなるところが
ふむふむなんだかわかるなぁと思った。
わたしが、ほんとうに一番自由に文章を書き連ねることができたのは大学生のときで、
ある時から、何を書いても凡庸で、退屈に思えてしまいブログの引っ越しを繰り返した。
あんなに楽しかった洋服を選ぶという行為に頭を悩まされたのも同時期。
働くということ、社会とコミットするということは自分というものの表現方法の転換を迫られること。
そのままでよいぞよ、という人もいればそうじゃないひともいる。
表現方法を変えてもするすると毎日を楽しめる人もいればグレーの風景が広がる人もいる。
みんなそれぞれだけど似たり寄ったりなんじゃないかしら。
するする楽しい毎日なんて逆に薄っぺらいもの。
『スプートニクの恋人』の後に『ティファニーで朝食を』を読んだのだけれど、
結局、みんながみんなティファニーで朝食をとるような安心感を、充実感を、自己肯定感を
さがしているのにと切なくなった。
それを見つけながらも刹那的にならざるをえなかったホリー・ゴライトリーはなんてはかないんだろうか。

ごはんもおそうじも持ち帰りの仕事もその他もろもろの時間があるわけでとんとごぶさた。
でも、それって日々を振り返る時間がないってことなのかもれしない。
村上春樹の小説を内田樹先生が絶賛しているのでひじょうに久しぶりに読む。
はじめての『スプートニクの恋人』。(今さらなんでっていうツッコミに答えるならば図書館にあったのがそれくらいだから。)
主人公の愛するすみれが恋をし、働くようになったことで文章がぴたりと書けなくなるところが
ふむふむなんだかわかるなぁと思った。
わたしが、ほんとうに一番自由に文章を書き連ねることができたのは大学生のときで、
ある時から、何を書いても凡庸で、退屈に思えてしまいブログの引っ越しを繰り返した。
あんなに楽しかった洋服を選ぶという行為に頭を悩まされたのも同時期。
働くということ、社会とコミットするということは自分というものの表現方法の転換を迫られること。
そのままでよいぞよ、という人もいればそうじゃないひともいる。
表現方法を変えてもするすると毎日を楽しめる人もいればグレーの風景が広がる人もいる。
みんなそれぞれだけど似たり寄ったりなんじゃないかしら。
するする楽しい毎日なんて逆に薄っぺらいもの。
『スプートニクの恋人』の後に『ティファニーで朝食を』を読んだのだけれど、
結局、みんながみんなティファニーで朝食をとるような安心感を、充実感を、自己肯定感を
さがしているのにと切なくなった。
それを見つけながらも刹那的にならざるをえなかったホリー・ゴライトリーはなんてはかないんだろうか。

2009/07/12
魔法と宿命
ものごとに感動したり、面白いなぁって思うことも結局は単なる主観で、
言い換えれば魔法にかかっているようなものだと思う。
なので、じんわり効力が薄れていったと思ったらある瞬間ふっとそれは抜けて魔法が解けるのだ。
言い換えれば魔法にかかっているようなものだと思う。
なので、じんわり効力が薄れていったと思ったらある瞬間ふっとそれは抜けて魔法が解けるのだ。
なーんて思ったらちょっとさみしいけれど魔法が解けないとなかなか前に進めないもの。
ほんとにひとつのことを突き詰められる人は魔法じゃなくて宿命だと思う。
魔法は誰にでもかかりうるもので、宿命は限られた人へのギフト、そんな感じかなぁ。
さて、わたしにとってのこの気持ちは魔法なのか、宿命なのか。
いきなりふっと消えてしまう気はしないのだけれど、どうしていごこちが悪いと感じてしまうんだろか。単に慣れてないだけだといいんだけど。
さてさて、ちょっぴり一段落したのでこれからは川でバーベキューをたくさんしてエナジィをもらってきます。
2009/05/25
キルヤ
絵本カーニバル、こどもアートスタジオプロジェクトなどでとーってもお世話になった
ホシノマサハルさんが絵本屋さんを始めました。
浜松に住む絵本好きの方ならきっと知っているえれふぁんとさんが閉店することになり、
「危機感」を抱いたホシノさん夫婦が立ち上がったようです。
オープンは5月16日でした。
詳しい情報はシンプリィ・ショップさんのブログに載っていたのでこちらをご覧になってください。
わたしはオープン初日に行ったのですが、
絵本に夢中になってしまって写真をすっかり撮り忘れました。
蔵書はさらりとしたマニアックさでしょうか。
古典も新しいものもおんなじように棚に収まっていました。
読書空間ひつじ日和もすぐ近くになるのでゆったり絵本を読みたい時は最適だと思います。
浜松にこんなお店ができて嬉しいなぁと知り合いということを差し置いて思わせてくれるお店でした。
※購入した本
福田里香『つきほし』
マリーホール・エッツ『ジルベルトとかぜ』
つきほしは大人泣かせの本です。
ホシノマサハルさんが絵本屋さんを始めました。
浜松に住む絵本好きの方ならきっと知っているえれふぁんとさんが閉店することになり、
「危機感」を抱いたホシノさん夫婦が立ち上がったようです。
オープンは5月16日でした。
詳しい情報はシンプリィ・ショップさんのブログに載っていたのでこちらをご覧になってください。
わたしはオープン初日に行ったのですが、
絵本に夢中になってしまって写真をすっかり撮り忘れました。
蔵書はさらりとしたマニアックさでしょうか。
古典も新しいものもおんなじように棚に収まっていました。
読書空間ひつじ日和もすぐ近くになるのでゆったり絵本を読みたい時は最適だと思います。
浜松にこんなお店ができて嬉しいなぁと知り合いということを差し置いて思わせてくれるお店でした。
※購入した本
福田里香『つきほし』
マリーホール・エッツ『ジルベルトとかぜ』
つきほしは大人泣かせの本です。
美味しいおひる
世間様が新型インフルエンザでひいこら言っているさなか、
なんの変哲もないスタンダードな風邪をひきました。
新型インフルエンザは抵抗がないからみんなかかりやすいとか言っているけれど、
インフルエンザ自体に生まれてから一度もかかったことがないのでもう何に気にしてません。
絶対過剰になっている気がする。
大切なのは、こどもや高齢者をどう守るかではないのかしら?
さて、最近のお休みの日はどこかしらでランチをしています。
普段の夕食はとってもシンプルなので良いサイクルかと。
鴨江のれんが亭さん、板屋町の氷箱里さん、あとヒルマンさんなどなどめぐってます。
また行きたいなと思えるお店は、味が良いだけでなくて
内装やサービスを含めた居心地の良さやが大切だなぁと思っています。
あとは体のコンディション。
病み上がりに行った氷箱里のお粥はほんとーに体があったまりました。
プーアル茶も体がすっきりする味わいでこのタイミングで食べて正解!とにんまり。
各方面からの情報をこれからも集めて行こうと思います。
※ブログの更新が滞っていますが、戸惑いながらも新しい職場を楽しんでいます。
毎日ものすごいエネルギーをつかって、エネルギーをもらっています。
なんの変哲もないスタンダードな風邪をひきました。
新型インフルエンザは抵抗がないからみんなかかりやすいとか言っているけれど、
インフルエンザ自体に生まれてから一度もかかったことがないのでもう何に気にしてません。
絶対過剰になっている気がする。
大切なのは、こどもや高齢者をどう守るかではないのかしら?
さて、最近のお休みの日はどこかしらでランチをしています。
普段の夕食はとってもシンプルなので良いサイクルかと。
鴨江のれんが亭さん、板屋町の氷箱里さん、あとヒルマンさんなどなどめぐってます。
また行きたいなと思えるお店は、味が良いだけでなくて
内装やサービスを含めた居心地の良さやが大切だなぁと思っています。
あとは体のコンディション。
病み上がりに行った氷箱里のお粥はほんとーに体があったまりました。
プーアル茶も体がすっきりする味わいでこのタイミングで食べて正解!とにんまり。
各方面からの情報をこれからも集めて行こうと思います。
※ブログの更新が滞っていますが、戸惑いながらも新しい職場を楽しんでいます。
毎日ものすごいエネルギーをつかって、エネルギーをもらっています。
2009/04/27
critical point

朝、ぱぱっと身につけた服の貧乏くささに閉口。
ふだん、ぴしっとしゃきっとした感じを演出するように心がけているとはいえ複雑な気持ちに。
新しいとっておきの服を着たときのあのワクワク感をしばらく味わっていない。
新しいジャケットを着た時は嬉しかったけれど新しい生活へのプレッシャーのようなものもずんと肩に感じた。
社会人になってからTPOに合った服というのを考えるようになったけれど、
それと同時にそんなにも好きじゃない服を着るようになった。
オトナになったと言えばそれまでだけれども、やっぱり複雑。
どうか今が臨界点でありますように、と思う。
金曜日にひさしぶりに佐鳴台へ。
佐鳴台といったら大好きなお店が点在し、ある一点では立ち並ぶ大好きな街。
前の職場、ANODATTE、シンプリィショップをハシゴ。
近況を話す巡業のような感じに。
いつもいつも素敵なアドバイスをくれる方はやっぱりいつも通りで。
そして、その方の幅広い人脈と情報網には驚くばかりです。
あと、わたしが感覚的に「グレーがかった景色」とか「しめった感じ」といった比喩を使っても理解してくれるようで!
話せば話すほどにいろいろな意味でほっとする希有な人のように思う。
これからどうなっていくのか…。
経済的な面も含めてやっぱりグレーな時間は避けられないけれど、どうにかやりすごしたい。
ぴょんと何かを飛び越えられますように!
2009/04/09
2009/03/26
雑感

息をつくひまもにないように駆け抜ける日々。
それでも、だんだんと整ってきた穏やかなくりかえしもあったりして。
まだ、ちょっぴりしか経っていないのに地に足がついてきたような気がする。
ここ1か月は取り越し苦労のくりかえしだったように思うけれど、運は悪くないみたいです。
落下事故になりそうになっても軌道修正したり、不時着に成功したりという感じ。
というとなんだかおおげさだけれど!
それにしても、大学を卒業してからもう2年。
ほんとにいろいろなことがありすぎてほとんど忘れてしまったように思う。
みんながわしわし働いている間に何をやっていたんだろうとむなしくなる時もあるけれど、
人間の行動の多くは投資と欲望を満たすことのどちらかに分類されるような気がするので
今は考えない。
いつか意味がわかるでしょう。後悔するのは早すぎる。
あいさつだけはきちんとしていこうと思います。
2009/03/14
チャロー!
春っぽくなってきたかと思ったらそうでもなくって惑わされの日々。
季節の変わり目は体調管理が難しいです。
冬の寒さがすきなのですが、ここ数年を振り返ると1、2月が体調を崩しやすい時期のよう。
泥のように寝てばっかりになります。
そして、今、3月は体調が良くなり過ごしやすくなる時期なのですが、
あっという間に年度が変わってしまいそうでヒヤヒヤしています。
やりたいこと以上にやらなくてはいけないことが盛りだくさん。
そうそう、大学の図書館で借りた「チャロー!インディア」という森美術館の展覧会のカタログがとってもおもしろかった。
そのテキストによるとインドは90年代以降に急速な経済発展とグローバル化がおこり社会が変容したそう。
つまり、多くの日本人がイメージするようなカレーと牛とヒンドゥー教とサリーだけの国ではなくなっているみたい。
近代化や都市化がもたらす問題が複雑にその歴史、宗教、民族と絡み合っている模様。
ある一点では日本とあんまりかわらないところもあると思う。
日頃、自分たちが享受している情報ってばほんとに偏っているよなぁとつくづく実感。
例えば、『格差の死』という作品は、「1ルピーの給食費を払えないため自殺してしまった女の子の話」と
「インド国内どこへでも1ルピーで電話がかけられるとい う通信会社の広告」
というのが対になっているそう。
社会を知るための切り口としてのアートという存在はほんとに貴重だと感じた。
ちなみに写真はとある世界遺産です。
2009/03/05
都市の豊かさについて

土日でささっと、なっちゃんが企画しているさんかくギャラリーと母校の卒展に。
人の集う場所に行けば誰かしらに会えるわけで。
それでも、思いもよらなかった人との再会はとっても嬉しかった。
けっして平穏な日々を過ごしてるわけではなかったのでなんとなく引きこもりがちになっていたのですが、
改めようと思った。
人と話していると自分のコンディションがわかるし、だからこそ整えることもできる。
おおよそのことが心がけ次第です。
さんかくギャラリーはもともとは空き店舗だったところを期間限定で貸してもらっているそう。
浜松の中心市街地はどんどん空洞化していて
昔ながらの商店が閉店して若者向けのアパレルのお店になって、
そこがまた閉店するというサイクルに入っている。
豊橋もそんな感じだったなぁ。(写真は豊橋の水上ビルと呼ばれている商店街です)
それをいいとか悪いとか思うことは簡単だけど、
じゃあ何をすると自分にとって心地よいまちになるのだろう?
と考えると困ってしまう。
なーんてことを考えていたらとっても尊敬している桧森さんという方
(もともと浜松の企業に勤めていらっしゃったのですが、今は大学教授をなさっています)
がブログでこんなことをおしゃっていた。
コンパクトシティの考え方には賛成だが、それと商業施設やオフィスの集積を進めることとはなんの関係もない。そもそもほんとうに集積が進むのなら、地価が上がって住めなくなるではないか。
首長や行政の担当者の話をよくよく聞いて見ると、どうも本音は「格好つけたい」ということのようだ。筆者の住む市は4月1日から政令指定都市になるが、人 口80万人の町としては中心にろくなオフィスビルもなく、老舗のデパートも倒産したまま空き家になっていて、人もあまり集まってこないのが都会っぽくなく て格好悪いらしい。
高層オフィスビルやデパートがぎっしり建っている姿を想像しているようだが、それは極めて発展途上国的な貧しい発想だ。
市の中心市街地活性化計画には「誰もが市をイメージできる”都市の顔”として、魅力的な都心の存在は欠かせないものである」と書いてある(やっぱり格好つけか)。
もし本当に都市としての風格を整えたいのなら、中心市街地にビルや商業施設などではなく、大型の都市公園をつくるべきだろう。ニューヨークのセントラルパーク、ロンドンのハイドパークやセントジェームスパークなどのように。
中心市街地の真ん中にある広大な、よく手入れされた公園は豊かさの象徴だ。それは単に経済的な豊かさだけでなく、人間としての生活の豊かさ、文化の豊かさを表していて、まさに”都市の顔”にふさわしい施設ではないだろうか。
確かにその通りでどこでお金を使っているかということは、豊かさを決定付けるものではないのだ。
お金の使い方をメディアや権威によって判断してるとするならば豊かと言いがたいけれど、
けっきょくは個々人がどのように捉えているかだと思う。
中心市街地の活性化の話になるとすぐ郊外の大型ショッピングセンターが引き合いに出されるけれど、
ほんとは消費は全体的に減少していて、買い物に対する価値観も変容している。
中心市街地にお店がなくなってしまうことは寂しいことだけれど、
量販店での買い物が当たり前になってしまって、お店の人と仲良くなることがなくなって、
店員さんとのおしゃべりやコミュニケーションを楽しめないことが本当に寂しいことのように思う。
桧森さんの言う公園もあくまで象徴というのがポイント。
いくら保護のためだからと言ってがっちり柵で囲われた自由に出入りできない公園では意味がない。
そこに人が集って、リラックスし、健やかに時を過ごすことができることが大切なのかと。
にしても桧森さんのブログはとっても面白いです。
まちづくり、アートマネジメント、経済、国際情勢、グルメなどなど…
ネタに幅がありユーモラス!
勉強になります。
2009/02/27
美味しさとは?
気分がすぐれない時にやらないように気をつけていることは、ごはんをないがしろにしないということ。
それは、わたしの個性と言ったらそれまでなのかもしれないけれど、
いいや、テキトーで!
で済ませて、元気になったためしがない。
むしろ、気分がすぐれない時ほど美味しいものの力が絶大に発揮される時で、
体や季節や気分をよーく見極めてものを食べることが大事なように思う。
先日、本屋さんをうろうろしていたら、
「15分でスピードメニュー」とか「はじめてでもカンタン」とか
なんとも味気のないレシピ本が並んでいるのをみて残念に感じてしまった。
基本とかをすっとばしていきなり手抜きはなんだか違う気がするなぁ。
もっと食べ物の旬についてとか食べ物の保存方法とか
美味しさを引き出す加熱方法とかをまとめた本があればいいのに。
そうゆう基本をアレンジしていくことで日常のレシピが生まれると思う。
そして、ぼんやりと考えていたのが「美味しさ」とは何なのかということ。
味覚というものは本当に一瞬で、口の中のものをいれてから時間が経てばどんどんと変わる。
噛めば噛むほどおいしいものもあれば一瞬で溶けたり味わいがなくなるものもある。
考えれば考えるほどに「美味しい」と感じたらそれまでと思えるくらいで捉えるのが難しい。
ミニ検討会の末、
作る側→ピッチャー
食べる側→バッター
美味しさ→ヒッティング
ということに。
ひとそれぞれ、ストライクゾーンの定義が異なり、でもそれがおもしろいよなぁと。
そして、料理をする側というのは温泉の眠る土壌を掘るような気持ちでもある。
きっとここに水源があるはず…と不安にも思いながら調理をし、
そのものを口に運んだ瞬間に「温泉あったわー!」ということが大きな感動。
ときにちょっとぬるすぎるわ、とか、あぁ、温泉っていうか単に土だわってこともさもありなん。
そのスリルが快感のように思う。
しかし、ほんとうにおいしいものを食べたいと舌と耳と目を研ぎすましていれば、
自然と旬のものが口に入るし、
体の様子を見ながら食べることを楽しもうとすれば、
バランスの良い食事になるのでは?とも思う。
マクロビもエッセンスとしては取り入れてはいるけれど、食事「療法」として解釈しているので、
体調がすぐれない時とかお肉料理が続いたときくらいです。
母が厳格なマクロビを実践していたこともあったので今のマクロビのゆるさに首を傾げることもあったのですが、
生活になじんできたってことなんだろうなぁと思っています。
マクロビについてはこちらの対談に共感しましたのでぜひ。
むしろ、気分がすぐれない時ほど美味しいものの力が絶大に発揮される時で、
体や季節や気分をよーく見極めてものを食べることが大事なように思う。
先日、本屋さんをうろうろしていたら、
「15分でスピードメニュー」とか「はじめてでもカンタン」とか
なんとも味気のないレシピ本が並んでいるのをみて残念に感じてしまった。
基本とかをすっとばしていきなり手抜きはなんだか違う気がするなぁ。
もっと食べ物の旬についてとか食べ物の保存方法とか
美味しさを引き出す加熱方法とかをまとめた本があればいいのに。
そうゆう基本をアレンジしていくことで日常のレシピが生まれると思う。
そして、ぼんやりと考えていたのが「美味しさ」とは何なのかということ。
味覚というものは本当に一瞬で、口の中のものをいれてから時間が経てばどんどんと変わる。
噛めば噛むほどおいしいものもあれば一瞬で溶けたり味わいがなくなるものもある。
考えれば考えるほどに「美味しい」と感じたらそれまでと思えるくらいで捉えるのが難しい。
ミニ検討会の末、
作る側→ピッチャー
食べる側→バッター
美味しさ→ヒッティング
ということに。
ひとそれぞれ、ストライクゾーンの定義が異なり、でもそれがおもしろいよなぁと。
そして、料理をする側というのは温泉の眠る土壌を掘るような気持ちでもある。
きっとここに水源があるはず…と不安にも思いながら調理をし、
そのものを口に運んだ瞬間に「温泉あったわー!」ということが大きな感動。
ときにちょっとぬるすぎるわ、とか、あぁ、温泉っていうか単に土だわってこともさもありなん。
そのスリルが快感のように思う。
しかし、ほんとうにおいしいものを食べたいと舌と耳と目を研ぎすましていれば、
自然と旬のものが口に入るし、
体の様子を見ながら食べることを楽しもうとすれば、
バランスの良い食事になるのでは?とも思う。
マクロビもエッセンスとしては取り入れてはいるけれど、食事「療法」として解釈しているので、
体調がすぐれない時とかお肉料理が続いたときくらいです。
母が厳格なマクロビを実践していたこともあったので今のマクロビのゆるさに首を傾げることもあったのですが、
生活になじんできたってことなんだろうなぁと思っています。
マクロビについてはこちらの対談に共感しましたのでぜひ。
2009/02/25
おくりびと
日々のコントラストが強すぎてすっかりぐったり。
かんたんにまとめると、
父が死にかけているかと勘違いして、落ち込んでいたらたいしたことないことが判明し、
よかったよかったなんて言っていたら飼っていた犬が死んでしまったのだ。
話を聞いてやさしくしてくれる人がいるので「もう、どん底!」という感じにはならないのが救いだけれど、
どうにも気持ちが忙しい。
まぁ、そうゆうときなのかしらと乗り切るしかないですね。
とにかく取り越し苦労に要注意。
現実をそのまま受け止めるようにして勝手にネガティブな編集をしないように心がけよう。
そして、いろんな意味でタイムリーにおくりびとも観てきました。
まさに、父が死にかけているのかと勘違いしているさなかだったのでとっても複雑でしたがとってもよかった!
死というテーマを表現するために涙だけでなく笑いも厳しさも使った豊かさのある映画だと思う。
それでも、ひっかかったのは、主人公が納棺に携わるようになって初めての仕事のシーンでのこと。
それは、死後2週間ほどで発見された独居のお年寄りを納めるというもの。
もちろんその姿がスクリーンに映し出されることはなかったけれど、想像を絶する姿になるのではなかろうか。
主人公は、その匂いや光景に怖気づいて社長に一喝される。
その瞬間、映画館の中にクスクスとした笑いが起こったのがとってもいごこちが悪かったのだ。
確かに、主人公があからさまに鼻をつまみ、目をそむけ、嫌そうにお年寄りの足をもつ様はちょっぴりコミカルだった。
でも、ほんとはこの映画のなかでもいちばん悲しいシーンなのではないかと思う。
死んだことに2週間も気づいてもらえないなんて本当に怖い。
みんな「自分はだいじょうぶ」って安心しているのかもしれないけれど、ほんとに安心できるのかな。
死というものはこんなにも身近にあるのに。
そんな気持ちになってしまった。
でも、とーっても良かったんですけどね!
ほぼ日で糸井重里さん、本木雅弘さん、中沢新一さんの対談が載っているのでそちらもぜひ。
2009/02/16
絵本カーニバルin西小 101年目の旅に出よう!

さて、きょうはお休みということで「絵本カーニバルin西小 101年目の旅に出よう!」のお手伝いにいってきました。
絵本カーニバルというイベントのもともとの母体は九州大学にあるのですが、
他の地域でも巡回して行うことができるようにイベント自体がパッケージングされており、
これまでにも福岡、東京などさまざまな地域で行われているようです。
とっても簡単に説明すると、絵本というあらゆる世代に受け入れられるメディアを通じて、
人と人、地域社会になんらかの良い影響を与えていこうというイベント。
詳しい紹介はこちらを参照に。
今回は今年度100周年を迎えた浜松市立西小学校のPTAの方々が有志で集まって絵本カーニバルを開催することになったようです。
会場は小学校全体を使って7つの場所に、
うみのむこうの町、とりの町、哲学のまち、ことばのない町、不思議な町、ほんとうにたいせつなこと
いったカテゴリーに分けられた絵本がずらりと展示されています。
そのカテゴリーは全部で38。おそらく500冊以上の絵本があるのではないでしょうか。
絵本カーニバルはこれで4回目ですが、はじめて出会うカテゴリーもありとても楽しめました。
また、そこにいるお母さんたちのとっても楽しそうな顔!
とってもアットホームで居心地がよかったです。
また、びっくりしたのがブルーノ・ムナーリの蔵書の多さ。
なゆたで行われていた絵本カーニバルでも驚いたのですが、さらにまた何冊か追加されたようです。
もしかしたら日本で一番多くのブルーノ・ムナーリの絵本を手に取って読めるのは西小なのかも?と思うほどに。
ご都合のつく方はぜひ足を運んでみてはいかがでしょうか。
*一般公開 2月16日(月)〜19日(木)14:30–16:30
2月18日(水)のみ 9:00–16:30
浜松市立西小学校 〒432-8024 静岡県浜松市中区鴨江町70-1
以下は面白かった絵本たちをメモとして。
新宮 晋『ことり』
ホイテーマ『しあわせなふくろう』
ブライアン・ワイルドスミス『とり』
エリック・パチュ『大きな空の木』
ブリジット・シンヌ『魔女になりたかった妖精』
ローラ・ユンクヴィスト『せんをたどって』
アン・ジョナス『光の旅 かげの旅』
メリンダ・パイノ『光の星』
トニ・モリソン+スレイド・モリソン『子どもたちに自由を!』
チャーリップ『よかったねネッドくん』
2009/02/14
春一番

ちょっぴり良くないことが起きてしまってダウナーな気分になったのですが、
まぁまだまだ頑張れるでしょう。という客観視で乗り切る。
落ちこみそうになると西原理恵子さんのマンガを読みます。
『上京ものがたり』を読んだらめそめそできないなって思う。
そのまっすぐさと歪んだパワーに最初は戸惑うかもしれないけどわたしはすき。
『毎日かあさん』は今一番あつめたいマンガです。
鈍さと強さをはき違えている人って結構いるとおもうけど、厳密に見ればわかると思う。
敏感だからこそ強くてやさしい。
西原さんは外側はざっくりおおさっぱだけど、内側は繊細。
マンガが厳しくてもとーってもやさしいのだ。
さても欲しいのはアウトプットする能力。
ということで地道にインプットしていきます。
それにしてもどうして一日はあっという間にすぎてしまうのでしょうか!!
2009/02/11
14歳からの社会学
ちょっと前に読んだ本の感想を。
アカデミックな社会学や現代思想はちょっと休憩、なんてことを思っていたらとんでもない良書に遭遇。
宮台真司さんの『14歳からの社会学』。
なんだろう、このかゆいところに手が届く感じ!
あの宮台さんがこども対してどんな言葉を投げかけたいと思っているのか興味がわく。
端的に言うと、そこにはごくごく当たり前のことが書かれていた。
時代に伴って風景が変化し、社会のシステムが変化した中で人との関わり方も変化する。
そんな中で、どうやって自分と他人と向き合っていけば良いのかとってもシンプルな回答が記されていた。
社会学という学問のジャンルは医学や物理学や工学に比べたら人類に対する実質的な影響力は小さいのかもしれない。
けれども、「こんなくだらないことでつまづいちゃうわたしってほんとにくだらないわ!」とか、
「このモヤモヤする感じ、なんだろうって思えば思うほどにモヤモヤする」という
誰もが抱きがちな市井の人々の想いをすくい上げてくれるような気がする。
この想いをずーっと突き詰めて考えてくれた人がいたんだ!とか、
あー、このことはこの言葉をちょっと使うだけですっきりと説明してくれんだ!という喜びがある。
そんな快感をおすそわけするような本だと感じた。
おすすめです。
アカデミックな社会学や現代思想はちょっと休憩、なんてことを思っていたらとんでもない良書に遭遇。
宮台真司さんの『14歳からの社会学』。
なんだろう、このかゆいところに手が届く感じ!
あの宮台さんがこども対してどんな言葉を投げかけたいと思っているのか興味がわく。
端的に言うと、そこにはごくごく当たり前のことが書かれていた。
時代に伴って風景が変化し、社会のシステムが変化した中で人との関わり方も変化する。
そんな中で、どうやって自分と他人と向き合っていけば良いのかとってもシンプルな回答が記されていた。
社会学という学問のジャンルは医学や物理学や工学に比べたら人類に対する実質的な影響力は小さいのかもしれない。
けれども、「こんなくだらないことでつまづいちゃうわたしってほんとにくだらないわ!」とか、
「このモヤモヤする感じ、なんだろうって思えば思うほどにモヤモヤする」という
誰もが抱きがちな市井の人々の想いをすくい上げてくれるような気がする。
この想いをずーっと突き詰めて考えてくれた人がいたんだ!とか、
あー、このことはこの言葉をちょっと使うだけですっきりと説明してくれんだ!という喜びがある。
そんな快感をおすそわけするような本だと感じた。
おすすめです。
2009/02/04
こどもに伝えたいこと
こどものためのワークショップファシリテーター養成講座Ⅱというものに参加。
かのこどもの城の岩崎清さんと絵本カーニバルというイベントの総合ディレクターの遠藤綾さんのお話を聞いた。
こどものためにできること、したいこと、
結局はおとなだって楽しめることじゃないといけないんだよなぁと思う。
いつもながらホシノマサハルさんの言葉は真っ当。
そして、「はじめて知る」の難しさ。
こどものはじめてをコーディネイトするという仕事は多くの人の認識以上に大切なのではないかと思う。
森達也さんの本の中で死刑制度の賛否について触れられていたのだけど、
それを読んでふと思ったことは、
死刑制度を支持する人は少なからずハンムラビ法典の影響を受けているのではということ。
「目には目を、歯には歯を」
という強烈な言葉は「やられたらやり返してよい」という意味に受け取られ、
「殺したら殺されてもよい」というふうに等号で結ぶように解釈されているような気がするのだ。
そこにはけっこうおおきなカベがあると思うのだけれどなぁ。
しかし、はじめての罪を罰する方法、償う方法が「やられたらやり返してよい」だとするなら
そのカベもよく見えなくなってしまうかもしれない。
そんなふうに、はじめて知ったときの「そうなんだ!」は大きな印象を与える。
でも、その「そうなんだ!」が何にでも適用されるわけでもない。
些細な要素の違いが大きな違いにもなるし、時代も変わっている。
だから、なるべくよく見て考えなくてはいけないんだよなぁと思う。
前の「知る」がそうだったからと言って次の「知る」がそうなるとは限らないのだ。
ちょっとよく見たり、考えたりすればわかることがほんとはたくさんあるように思う。
わたしも含めてみんな情緒に捕われすぎているように思う。
ほんとのところは「事情は複雑だけど構造がシンプル」なことが多いはず。
そんなことをこどもに伝えられたらと思う。
思考のバリエーションで世界はこんなにも豊かなのだから。
◆
写真は、絵本カーニバルで行われた山本景子さんのワークショップでできた絵本。
けいちゃんのワークショップはどんどんよくなっている。
みんな思っていたのと違う絵本を作ることになってちょっぴり戸惑っていたけれど、
こどもだけでなく、おかあさんもおとうさんも楽しんでいた。
2009/02/03
広島旅行
職場の旅行で初めての広島へ。
厳島神社がうつくしかった!
今度はぜひ泊まりで行って満潮も干潮もみたい。
焼きガキはほんとにほんとにおいしくて、今までで一番おいしいカキだった。
広島の平和記念公園にも行ったのだけれど、どうにもカメラを持つ気持ちになれず。
凄まじい記録写真を撮ったフォトグラファーの覚悟を肌で感じる。
その日はとってもよいお天気にも関わらず、公園や資料館、原爆ドームには
ずんと重いグレーのオーラが漂っていた。
いろいろ思うことがありすぎて消化できない。
歴史をいかに伝えていくのかということ。
でも、悲しい争いは今なお世界中でも起きている。
小さな規模ではごく身近なところでも。
それに境界線なんて引けるのかしら。
そして、広島市現代美術館にて「ネオ・トロピカリア」という展覧会を。
こちらは東京都現代美術館の巡回展だった模様。
ブラジルの展覧会を見る機会がコンスタントにあり、これで3回目。
ひとつの国のアートでも切り口がたくさんあることがわかる。
エリオ・オイチシカというアーティストの作品に強烈なパワーを感じる。
カニバリズムに影響されたということらしいけど、時代に変わらなきゃっていうムードがあったのだろうなぁ。
エルネスト・ネトの作品はやっぱりすき。これはもう思いっきり主観で。
黒い巨大な作品の中に体を埋めたときのここちよさ!本当にしあわせだったー。
彼の作品はおうちにあったらいいのにと自然に思えるのがいいと思う。
広島のこと、もっと知りたいと思う旅だった。
モヤモヤしていることも未消化のままでいて、また行きたい。
もっと考えたい。
2009/01/21
ひとつだけ
あけましておめでとうございます。
なんともあっという間の一年だったような。
特に9月からの4ヶ月は怒濤の展開。
家族から離れて人とのつながりがぐっと濃くなったような気がする。
あと、現状維持で満足なんて逃げはやめてとにかく動いてみようという気持ちになれた。
某大統領ではないけれど「変化」しますよー。
さても、マクロではなくミクロな視点を。
お正月からなんだか生活がだらけてしまっているのを改善しなくては!
きちんと暮らすこと、人にやさしくすること。
当たり前を当たり前に。
呪文のように唱えています。
* * *
インフォメーション。
絵本カーニバルという絵本のイベント絵本カーニバルが開催されています。
ゆったりとした空間でたっぷりと絵本を満喫できます。
ぜひ足を運んでみてください。
PICTURE BOOK CARNIVAL IN NAYUTA 2009
旅する絵本カーニバルinなゆた ゆめをみる街
2000.1.17.SAT–2.8.SUN
浜松市なゆた・浜北 市民ギャラリー
[入場無料 開館時間:10:00–17:00 休館日:月曜日]
主催:財団法人浜松市文化振興財団
後援:浜松市 静岡新聞/静岡放送 中日新聞東海本社 K–MIX FM Haro! ケーブル・ウェンディ
協力:九州大学ユーザーサイエンス機構子どもプロジェクト
企画協力:こどもアートスタジオプロジェクト
矢野顕子「ひとつだけ」
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Profile.
- maya*
- 浜松在住。 社会とこども、人と人をつなぐものとしてのメディアに興味があります。