ごはんもおそうじも持ち帰りの仕事もその他もろもろの時間があるわけでとんとごぶさた。
でも、それって日々を振り返る時間がないってことなのかもれしない。
村上春樹の小説を内田樹先生が絶賛しているのでひじょうに久しぶりに読む。
はじめての『スプートニクの恋人』。(今さらなんでっていうツッコミに答えるならば図書館にあったのがそれくらいだから。)
主人公の愛するすみれが恋をし、働くようになったことで文章がぴたりと書けなくなるところが
ふむふむなんだかわかるなぁと思った。
わたしが、ほんとうに一番自由に文章を書き連ねることができたのは大学生のときで、
ある時から、何を書いても凡庸で、退屈に思えてしまいブログの引っ越しを繰り返した。
あんなに楽しかった洋服を選ぶという行為に頭を悩まされたのも同時期。
働くということ、社会とコミットするということは自分というものの表現方法の転換を迫られること。
そのままでよいぞよ、という人もいればそうじゃないひともいる。
表現方法を変えてもするすると毎日を楽しめる人もいればグレーの風景が広がる人もいる。
みんなそれぞれだけど似たり寄ったりなんじゃないかしら。
するする楽しい毎日なんて逆に薄っぺらいもの。
『スプートニクの恋人』の後に『ティファニーで朝食を』を読んだのだけれど、
結局、みんながみんなティファニーで朝食をとるような安心感を、充実感を、自己肯定感を
さがしているのにと切なくなった。
それを見つけながらも刹那的にならざるをえなかったホリー・ゴライトリーはなんてはかないんだろうか。

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