2009/12/23

京都③

さて、京都のエントリが止まっていたので復活させます。
②では次は大覚寺なんて抜かしているけれど、ちょっともう、そんなに細かく記すのは大変なので、
かんたんな振り返りとどうしても語りたいところだけ。

1日目の続きは、大覚寺ののち天竜寺へ。
どちらもすごい絶妙な手入れで自然なんだけど美しい。植物たちをただ放っておくと草ボーボーで荒れるだけなのであの塩梅はほんとうにすごいと思う。

そして、夜は街の喧噪を避けて阪急線で伏見桃山まで。
酒蔵をぐるぐるして居酒屋をめぐる。酒蔵を改造してつくった居酒屋の日本酒はとろりと甘くはじける炭酸がおいしかった!


2日目はゆったり街中プラン。
モリカゲシャツでお買い物をし、歩いて青蓮院門跡まで。
結構な距離を歩き、途中は腰のまがったおばあちゃんがせっせと調理をするうどん屋さんでお昼。
お汁がたっぷり染みた親子丼はまさしく京都の味。小さくてかわいいお店でした。

青蓮院は、「こんな時代だからこそ公開を」という住職さまの気持ちが伝わる誰しもが
「行ってよかった」と思える参拝の仕組みになっていた。
ただ拝観するだけでなく、ちいさなお札と護摩の紙を頂くことができ、青不動様にお会いする前に、
自分のお願いごとを紙に書いて青不動様にお渡しすることができたのだ。
青不動様が描かれた時から世界は本当に大きく変わってしまったけれど、それでも、人々がお願いごとをする気持ち、
安寧や周りの人の健康を願う気持ちはきっと変わっていないと思う。
そうしたことに気がつけるだけでもほっとするなぁと思った。

その後は、地下鉄に乗って、京都国際マンガミュージアムへ。
お目当てはタムくんの原画の展示だったのだけれどその施設にびっくり。
細部まで考えられてイノベイトされており、建物自体にもきちんと意味を持たせていた。
しかしながら常設の展示にはなんだかだっかり。
ずらりと並ぶマンガの壁と呼ばれる棚はマンガ喫茶のそれとさほど変わらず、ただ置いてあるだけにしかすぎない。
例えば、作家別にするとか、内容をカテゴリーごとにわけるとかそんな工夫がどこにもなかった。
大きな火の鳥のレリーフがあるならば、手塚治虫のマンガがすべて読めるスペースがあってもおかしくはないと思うのだけれどなぁ。
マンガを好きな人は楽しいけれど、マンガを面白いと思っていない人がきたらやっぱり面白くないと思う、そんな施設だと思った。
魅力をつたえるための展示、ハコモノにはやっぱりそれが必要なのではないだろうか。
まずは、スタッフの真っ赤なナイロンの上着から検討してほしい。
(もちろん、タムくんの原画はとーってもすてきでした)

その後は、shinbiまで歩いてタムくんのアニメを見て、ぜんざいを食べて京都駅へ。
それまでは、あんまり人がこないところを選んで廻っていたので京都駅の人の多さにびっくり。
なんとか袋入りの阿闍梨餅をつかみ、お決まりの生麩とちりめん山椒を購入。
柿の葉寿司(駅弁より絶対おいしい)を買って新幹線へ乗り込み京都の旅は無事に終了。
仏像にお庭にお買い物ととーっても贅沢な旅でした。

2009/12/19

ヘヴン

いろんな考え方に振り回されて、なにが良いのか、何が正しいのか、何が適切なのかがもうわけがわからなくなってしまうことがある。
立ち位置なんてせせこましいことを考えているのがいけないんだろう。
でも、考えてしまう。
じゃあ、どうればいい?
川上未映子の『ヘヴン』を読了後そんなことを考えてしまった。
みんな微妙に違い、微妙な違いと同じ点をもとにグルーピングし、ジャンル分けし、自分ってもものの説明をしてるんだろうか。
いーっぱい見えてしまうのだ。
例えば髪型、服装、喋り方、食べ方、ありとあらゆる人間の「振る舞い」からその人との表わしたいところが。
でも、その記号的な情報では「感情」はわからない。
それが、キーな気がする。
この人って、こんな感じの人なんだわという具合に予想したところでそれはわたしの頭の中のその人でしかなくて、その人が何を考えているのかなんてわかりやしない。
だからズレるんだろうし、だから距離がうまれ、言葉に詰まるのだろう。

小説はもっとずっと切り込んだ善悪とそれに立ち向かう少女の正しさ、かたくなさ。少年のとまどい。
そして、世界というものの世界観。
そんな小説だった。といってもものすごくわかりにくいのだけれど。
でも、そこで明らかになったのは、苛めを悪とするための苛めている側に対するロジックなんてないのだ。
言った者勝ち。やったもの勝ち。そんなうっすぺらなものがとっても強いのだということ。
最後の50ページは胸が苦しくてたまらなかった。
そんな小説だった。



2009/11/17

京都②

さて、高雄から市バスに乗り込み太秦天神川まで。
ほんとは仁和寺にも寄ろうかと思っていたのですが、次の予定もあるので残念。
だいたい欲張りなプランを考えてしまいがちです。

そして、大好きな京福嵐電に揺られ嵐山へ!
さっきまでの侘しい雰囲気とは打って変わってthe観光地な雰囲気にのまれそうになりながらも歩いて清涼寺へ。
まずは、境内の中にある湯豆腐のお店でランチ。
湯豆腐にごま豆腐、生麩の天ぷら、野菜の炊きあわせ、白和えなどと古代米をほうじ茶で炊いたものなど、
選ばれた材料できちんと拵えてある味が幸せ!
生麩を湯葉で包んだ揚げ出しは餡のせりの風味が絶品でした。
お腹をみたしてやっと、参拝。
五臓六腑があるという釈迦如来さまにお会いする。
お釈迦様が37歳の頃の様子を表しているからかお顔はインド人のお顔。すっと通ったお鼻が美しい。
特別公開の阿弥陀三尊さまと普賢菩薩さまと文殊菩薩さまはその近さにびっくり。
息をのみながら見つめてしまいました。
五臓六腑を表してる布袋の複製も見ることができたのですが、とっても興味深い!
お釈迦さまがたしかに生きていたのだということを密かに伝えているのだ。
お庭もとってもきれいで時間がすっと止まっているような空間で背筋がしゃんとする心地よさ。
きなこの風味が香ばしいあぶり餅をいただいて大満足にお寺を出ました。

次は大覚寺です。

2009/11/16

京都①

さて、11月14日土曜日。
久々の京都へ行って参りました。
6:32のひかりに乗り込み、全日購入した内田樹先生の『日本辺境論』をぽつぽつと読んだり、
窓の外の景色をみたりしたらあっという間に京都駅。
8:30発のJRバスに乗り込みいざ高雄へ!


まずは、善財童子さまがお迎えしてくださる高山寺石水院へ。
朝の空気がとっても似合う居心地のよさ。
でも、何が良いのかという本当のところはまだ言語にできない。
川のせせらぎ、光のかげん、草木を揺らす風のすべてを取り込む開放的な構造には人の気持ちをすぅっと持ち上げるものがあるように思う。
きれいに整えられた木や参道からは、自然に対する慎重な配慮が感じられ、それが絶妙なバランス。
ほんとにすごい。


そして、みたらし団子を食べ、もみじの天ぷらをつまみながら川辺を歩いて神護寺へ。
人口の針葉樹林にかこまれて育った私にとって紅葉がとても新鮮でした。
長く長く続く階段を登った後は凛々しくも艶やかな薬師如来さま。
お会いするのは二度目なのにやっぱりしびれました!


続きは後日。
今度は嵐山です。


2009/11/04

内田樹先生の講演

つ、ついに念願の内田樹先生の講演に行ってきました!
職場で大変お世話になっている方にお誘いをいただいて図々しさとミーハーさを丸出しで。
ひじょうに興味深く、楽しいお話で時間が過ぎるのが本当に惜しいものでした。

お話の内容は、最新の文部科学省の高等教育の方針からいつもの教育論へ。
教育に市場原理を持ち込み、学校で学ぶ意義が明確になったとたんに学力が下がってきていること、
勉強せずに良い成績をおさめることをスマートとするひとたちがいること、
むーんと頭を抱えながら聞いてしまう。
話は、学校教育は子どもにとって「なんでここにいるのかよくわからない」ことであり、
「意味がわからない」ことであるけれど、それを自分で考えることの大切さについて考えることが
大切なんだということをおっしゃっているのを聞いてふむふむ自分もそうだったよなぁと思い出した。
そうやって、誰しもが感じる感覚というものを大切にしながら樹先生はお話をするので聞いている人たちは
無条件に自分が肯定されていることを感じる。
だからどんどん聴衆は引き込まれていくし、リラックスできるのだと感じた。
きゅっとしまった大人たちが一つのことを目的に目をきらきらさせている光景を初めて見た。
ものすごいことだ。

私個人としては、「教育とは教えたいから教えるという要求されていないところから始まること」
「学びのメカニズムとは自分には理解できないけどしたいこと」
「教育とはおせっかい」
などといった言葉を聞いて、自分の行動の説明できない部分や自信のない部分を
そのままでいいんだよ、とGOサインをいただいたような気持ちになった。

そして、「大切なのはメンターを見つけるためのセンサーとメンターとなりうる人物をその気にさせるための礼儀正しさ」や、
「生産的で愉快で幸福な生き方ができるように教育はあるべき」
というような言葉は、これからの時代を生き抜く子どもたちには、肌で身に付けて欲しい感覚だと
強く感じた。
私は、他の人とコミュニケーションをとるのが苦手で、嫌だなぁと思ったことはすぐに顔に出るけれど、
なるべく周りの人には嫌な想いをさせずに振る舞いたいと思っている。
言葉にすると恥ずかしいけれどいかに「ハッピーオーラ」を出せるかが重要だとも。
相手を不愉快にさせないこと、居心地の良さを感じさせることができること、
それこそが社会と「コミット」する入り口なのだと勝手に思い込んでいる。
能力や実力がなくても、利益を必要としない人と人との関わりの中では、
自分に素直であること、礼儀正しくあることがやっぱり助けてくれるのである。

さらに講演後、スーさん様の主催する樹先生をお出迎えする会へ。
キャパシティが極小の私には脳がきゅうきゅうと悲鳴をあげるような濃厚な時間でしたが、
とーっても楽しかった!
樹先生は壇上以上にサービス精神が旺盛でやさしくて、細やかな気配りをしてくださいました。
ほんとうに礼儀正しいということは、かた苦しくなく、居心地の良いものだということが伝わる時間でした。
そして、その心地よさがその場にいるすべての人に伝わり、初めて会った人たち同士とは思えない
温かなコミュニケーションが生まれていました。
本当に幸せだなぁと何度も噛み締めました。

誘ってくださった上司にはもちろん、素敵な会の準備をしてくださったスーさん様、
一緒に楽しい時間をすごしてくださった皆様への感謝の気持ちが一杯です。
そして、内田樹先生。ほんとうにありがとうございました。

Profile.

浜松在住。 社会とこども、人と人をつなぐものとしてのメディアに興味があります。