2009/03/26

雑感



息をつくひまもにないように駆け抜ける日々。
それでも、だんだんと整ってきた穏やかなくりかえしもあったりして。
まだ、ちょっぴりしか経っていないのに地に足がついてきたような気がする。
ここ1か月は取り越し苦労のくりかえしだったように思うけれど、運は悪くないみたいです。
落下事故になりそうになっても軌道修正したり、不時着に成功したりという感じ。

というとなんだかおおげさだけれど!


それにしても、大学を卒業してからもう2年。
ほんとにいろいろなことがありすぎてほとんど忘れてしまったように思う。
みんながわしわし働いている間に何をやっていたんだろうとむなしくなる時もあるけれど、
人間の行動の多くは投資と欲望を満たすことのどちらかに分類されるような気がするので
今は考えない。
いつか意味がわかるでしょう。後悔するのは早すぎる。

あいさつだけはきちんとしていこうと思います。

2009/03/14

チャロー!



春っぽくなってきたかと思ったらそうでもなくって惑わされの日々。
季節の変わり目は体調管理が難しいです。

冬の寒さがすきなのですが、ここ数年を振り返ると1、2月が体調を崩しやすい時期のよう。
泥のように寝てばっかりになります。
そして、今、3月は体調が良くなり過ごしやすくなる時期なのですが、
あっという間に年度が変わってしまいそうでヒヤヒヤしています。
やりたいこと以上にやらなくてはいけないことが盛りだくさん。



そうそう、大学の図書館で借りた「チャロー!インディア」という森美術館の展覧会のカタログがとってもおもしろかった。
そのテキストによるとインドは90年代以降に急速な経済発展とグローバル化がおこり社会が変容したそう。
つまり、多くの日本人がイメージするようなカレーと牛とヒンドゥー教とサリーだけの国ではなくなっているみたい。
近代化や都市化がもたらす問題が複雑にその歴史、宗教、民族と絡み合っている模様。
ある一点では日本とあんまりかわらないところもあると思う。
日頃、自分たちが享受している情報ってばほんとに偏っているよなぁとつくづく実感。

例えば、『格差の死』という作品は、「1ルピーの給食費を払えないため自殺してしまった女の子の話」と
「インド国内どこへでも1ルピーで電話がかけられるとい う通信会社の広告」
というのが対になっているそう。
社会を知るための切り口としてのアートという存在はほんとに貴重だと感じた。


ちなみに写真はとある世界遺産です。

2009/03/05

都市の豊かさについて




土日でささっと、なっちゃんが企画しているさんかくギャラリーと母校の卒展に。


人の集う場所に行けば誰かしらに会えるわけで。
それでも、思いもよらなかった人との再会はとっても嬉しかった。
けっして平穏な日々を過ごしてるわけではなかったのでなんとなく引きこもりがちになっていたのですが、
改めようと思った。
人と話していると自分のコンディションがわかるし、だからこそ整えることもできる。
おおよそのことが心がけ次第です。


さんかくギャラリーはもともとは空き店舗だったところを期間限定で貸してもらっているそう。
浜松の中心市街地はどんどん空洞化していて
昔ながらの商店が閉店して若者向けのアパレルのお店になって、
そこがまた閉店するというサイクルに入っている。
豊橋もそんな感じだったなぁ。(写真は豊橋の水上ビルと呼ばれている商店街です)
それをいいとか悪いとか思うことは簡単だけど、
じゃあ何をすると自分にとって心地よいまちになるのだろう?
と考えると困ってしまう。

なーんてことを考えていたらとっても尊敬している桧森さんという方
(もともと浜松の企業に勤めていらっしゃったのですが、今は大学教授をなさっています)
がブログでこんなことをおしゃっていた。


筆者はいまだに、地方都市において中心市街地活性化になぜ税金を投入しなければならないのか理解できない。

コンパクトシティの考え方には賛成だが、それと商業施設やオフィスの集積を進めることとはなんの関係もない。そもそもほんとうに集積が進むのなら、地価が上がって住めなくなるではないか。

首長や行政の担当者の話をよくよく聞いて見ると、どうも本音は「格好つけたい」ということのようだ。筆者の住む市は4月1日から政令指定都市になるが、人 口80万人の町としては中心にろくなオフィスビルもなく、老舗のデパートも倒産したまま空き家になっていて、人もあまり集まってこないのが都会っぽくなく て格好悪いらしい。

高層オフィスビルやデパートがぎっしり建っている姿を想像しているようだが、それは極めて発展途上国的な貧しい発想だ。

市の中心市街地活性化計画には「誰もが市をイメージできる”都市の顔”として、魅力的な都心の存在は欠かせないものである」と書いてある(やっぱり格好つけか)。

もし本当に都市としての風格を整えたいのなら、中心市街地にビルや商業施設などではなく、大型の都市公園をつくるべきだろう。ニューヨークのセントラルパーク、ロンドンのハイドパークやセントジェームスパークなどのように。

中心市街地の真ん中にある広大な、よく手入れされた公園は豊かさの象徴だ。それは単に経済的な豊かさだけでなく、人間としての生活の豊かさ、文化の豊かさを表していて、まさに”都市の顔”にふさわしい施設ではないだろうか。



確かにその通りでどこでお金を使っているかということは、豊かさを決定付けるものではないのだ。
お金の使い方をメディアや権威によって判断してるとするならば豊かと言いがたいけれど、
けっきょくは個々人がどのように捉えているかだと思う。

中心市街地の活性化の話になるとすぐ郊外の大型ショッピングセンターが引き合いに出されるけれど、
ほんとは消費は全体的に減少していて、買い物に対する価値観も変容している。
中心市街地にお店がなくなってしまうことは寂しいことだけれど、
量販店での買い物が当たり前になってしまって、お店の人と仲良くなることがなくなって、
店員さんとのおしゃべりやコミュニケーションを楽しめないことが本当に寂しいことのように思う。

桧森さんの言う公園もあくまで象徴というのがポイント。
いくら保護のためだからと言ってがっちり柵で囲われた自由に出入りできない公園では意味がない。
そこに人が集って、リラックスし、健やかに時を過ごすことができることが大切なのかと。

にしても桧森さんのブログはとっても面白いです。
まちづくり、アートマネジメント、経済、国際情勢、グルメなどなど…
ネタに幅がありユーモラス!
勉強になります。

2009/02/27

美味しさとは?

気分がすぐれない時にやらないように気をつけていることは、ごはんをないがしろにしないということ。
それは、わたしの個性と言ったらそれまでなのかもしれないけれど、
いいや、テキトーで!
で済ませて、元気になったためしがない。
むしろ、気分がすぐれない時ほど美味しいものの力が絶大に発揮される時で、
体や季節や気分をよーく見極めてものを食べることが大事なように思う。

先日、本屋さんをうろうろしていたら、
「15分でスピードメニュー」とか「はじめてでもカンタン」とか
なんとも味気のないレシピ本が並んでいるのをみて残念に感じてしまった。
基本とかをすっとばしていきなり手抜きはなんだか違う気がするなぁ。
もっと食べ物の旬についてとか食べ物の保存方法とか
美味しさを引き出す加熱方法とかをまとめた本があればいいのに。
そうゆう基本をアレンジしていくことで日常のレシピが生まれると思う。


そして、ぼんやりと考えていたのが「美味しさ」とは何なのかということ。
味覚というものは本当に一瞬で、口の中のものをいれてから時間が経てばどんどんと変わる。
噛めば噛むほどおいしいものもあれば一瞬で溶けたり味わいがなくなるものもある。
考えれば考えるほどに「美味しい」と感じたらそれまでと思えるくらいで捉えるのが難しい。


ミニ検討会の末、
作る側→ピッチャー
食べる側→バッター
美味しさ→ヒッティング
ということに。
ひとそれぞれ、ストライクゾーンの定義が異なり、でもそれがおもしろいよなぁと。


そして、料理をする側というのは温泉の眠る土壌を掘るような気持ちでもある。
きっとここに水源があるはず…と不安にも思いながら調理をし、
そのものを口に運んだ瞬間に「温泉あったわー!」ということが大きな感動。
ときにちょっとぬるすぎるわ、とか、あぁ、温泉っていうか単に土だわってこともさもありなん。
そのスリルが快感のように思う。

しかし、ほんとうにおいしいものを食べたいと舌と耳と目を研ぎすましていれば、
自然と旬のものが口に入るし、
体の様子を見ながら食べることを楽しもうとすれば、
バランスの良い食事になるのでは?とも思う。

マクロビもエッセンスとしては取り入れてはいるけれど、食事「療法」として解釈しているので、
体調がすぐれない時とかお肉料理が続いたときくらいです。
母が厳格なマクロビを実践していたこともあったので今のマクロビのゆるさに首を傾げることもあったのですが、
生活になじんできたってことなんだろうなぁと思っています。
マクロビについてはこちらの対談に共感しましたのでぜひ。


2009/02/25

おくりびと

日々のコントラストが強すぎてすっかりぐったり。

かんたんにまとめると、
父が死にかけているかと勘違いして、落ち込んでいたらたいしたことないことが判明し、
よかったよかったなんて言っていたら飼っていた犬が死んでしまったのだ。

話を聞いてやさしくしてくれる人がいるので「もう、どん底!」という感じにはならないのが救いだけれど、
どうにも気持ちが忙しい。
まぁ、そうゆうときなのかしらと乗り切るしかないですね。
とにかく取り越し苦労に要注意。
現実をそのまま受け止めるようにして勝手にネガティブな編集をしないように心がけよう。


そして、いろんな意味でタイムリーにおくりびとも観てきました。
まさに、父が死にかけているのかと勘違いしているさなかだったのでとっても複雑でしたがとってもよかった!
死というテーマを表現するために涙だけでなく笑いも厳しさも使った豊かさのある映画だと思う。

それでも、ひっかかったのは、主人公が納棺に携わるようになって初めての仕事のシーンでのこと。
それは、死後2週間ほどで発見された独居のお年寄りを納めるというもの。
もちろんその姿がスクリーンに映し出されることはなかったけれど、想像を絶する姿になるのではなかろうか。
主人公は、その匂いや光景に怖気づいて社長に一喝される。
その瞬間、映画館の中にクスクスとした笑いが起こったのがとってもいごこちが悪かったのだ。
確かに、主人公があからさまに鼻をつまみ、目をそむけ、嫌そうにお年寄りの足をもつ様はちょっぴりコミカルだった。
でも、ほんとはこの映画のなかでもいちばん悲しいシーンなのではないかと思う。
死んだことに2週間も気づいてもらえないなんて本当に怖い。
みんな「自分はだいじょうぶ」って安心しているのかもしれないけれど、ほんとに安心できるのかな。
死というものはこんなにも身近にあるのに。
そんな気持ちになってしまった。
でも、とーっても良かったんですけどね!


ほぼ日で糸井重里さん、本木雅弘さん、中沢新一さんの対談が載っているのでそちらもぜひ。



Profile.

浜松在住。 社会とこども、人と人をつなぐものとしてのメディアに興味があります。