さて、京都のエントリが止まっていたので復活させます。
②では次は大覚寺なんて抜かしているけれど、ちょっともう、そんなに細かく記すのは大変なので、
かんたんな振り返りとどうしても語りたいところだけ。
1日目の続きは、大覚寺ののち天竜寺へ。
どちらもすごい絶妙な手入れで自然なんだけど美しい。植物たちをただ放っておくと草ボーボーで荒れるだけなのであの塩梅はほんとうにすごいと思う。
そして、夜は街の喧噪を避けて阪急線で伏見桃山まで。
酒蔵をぐるぐるして居酒屋をめぐる。酒蔵を改造してつくった居酒屋の日本酒はとろりと甘くはじける炭酸がおいしかった!
2日目はゆったり街中プラン。
モリカゲシャツでお買い物をし、歩いて青蓮院門跡まで。
結構な距離を歩き、途中は腰のまがったおばあちゃんがせっせと調理をするうどん屋さんでお昼。
お汁がたっぷり染みた親子丼はまさしく京都の味。小さくてかわいいお店でした。
青蓮院は、「こんな時代だからこそ公開を」という住職さまの気持ちが伝わる誰しもが
「行ってよかった」と思える参拝の仕組みになっていた。
ただ拝観するだけでなく、ちいさなお札と護摩の紙を頂くことができ、青不動様にお会いする前に、
自分のお願いごとを紙に書いて青不動様にお渡しすることができたのだ。
青不動様が描かれた時から世界は本当に大きく変わってしまったけれど、それでも、人々がお願いごとをする気持ち、
安寧や周りの人の健康を願う気持ちはきっと変わっていないと思う。
そうしたことに気がつけるだけでもほっとするなぁと思った。
その後は、地下鉄に乗って、京都国際マンガミュージアムへ。
お目当てはタムくんの原画の展示だったのだけれどその施設にびっくり。
細部まで考えられてイノベイトされており、建物自体にもきちんと意味を持たせていた。
しかしながら常設の展示にはなんだかだっかり。
ずらりと並ぶマンガの壁と呼ばれる棚はマンガ喫茶のそれとさほど変わらず、ただ置いてあるだけにしかすぎない。
例えば、作家別にするとか、内容をカテゴリーごとにわけるとかそんな工夫がどこにもなかった。
大きな火の鳥のレリーフがあるならば、手塚治虫のマンガがすべて読めるスペースがあってもおかしくはないと思うのだけれどなぁ。
マンガを好きな人は楽しいけれど、マンガを面白いと思っていない人がきたらやっぱり面白くないと思う、そんな施設だと思った。
魅力をつたえるための展示、ハコモノにはやっぱりそれが必要なのではないだろうか。
まずは、スタッフの真っ赤なナイロンの上着から検討してほしい。
(もちろん、タムくんの原画はとーってもすてきでした)
その後は、shinbiまで歩いてタムくんのアニメを見て、ぜんざいを食べて京都駅へ。
それまでは、あんまり人がこないところを選んで廻っていたので京都駅の人の多さにびっくり。
なんとか袋入りの阿闍梨餅をつかみ、お決まりの生麩とちりめん山椒を購入。
柿の葉寿司(駅弁より絶対おいしい)を買って新幹線へ乗り込み京都の旅は無事に終了。
仏像にお庭にお買い物ととーっても贅沢な旅でした。
2009/12/19
ヘヴン
いろんな考え方に振り回されて、なにが良いのか、何が正しいのか、何が適切なのかがもうわけがわからなくなってしまうことがある。
立ち位置なんてせせこましいことを考えているのがいけないんだろう。
でも、考えてしまう。
じゃあ、どうればいい?
川上未映子の『ヘヴン』を読了後そんなことを考えてしまった。
みんな微妙に違い、微妙な違いと同じ点をもとにグルーピングし、ジャンル分けし、自分ってもものの説明をしてるんだろうか。
いーっぱい見えてしまうのだ。
例えば髪型、服装、喋り方、食べ方、ありとあらゆる人間の「振る舞い」からその人との表わしたいところが。
でも、その記号的な情報では「感情」はわからない。
それが、キーな気がする。
この人って、こんな感じの人なんだわという具合に予想したところでそれはわたしの頭の中のその人でしかなくて、その人が何を考えているのかなんてわかりやしない。
だからズレるんだろうし、だから距離がうまれ、言葉に詰まるのだろう。
小説はもっとずっと切り込んだ善悪とそれに立ち向かう少女の正しさ、かたくなさ。少年のとまどい。
そして、世界というものの世界観。
そんな小説だった。といってもものすごくわかりにくいのだけれど。
でも、そこで明らかになったのは、苛めを悪とするための苛めている側に対するロジックなんてないのだ。
言った者勝ち。やったもの勝ち。そんなうっすぺらなものがとっても強いのだということ。
最後の50ページは胸が苦しくてたまらなかった。
そんな小説だった。
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- maya*
- 浜松在住。 社会とこども、人と人をつなぐものとしてのメディアに興味があります。